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トレーディング、Arts&Logic by 田中 雅

第VIII部:ヘッジ・ファンド

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1章:ヘッジファンドの歴史

2011/2/10

私は1993年にカリブ海に浮かぶ小島オランダ領アンティールに恐らく独立系日本人としては初めてか二番目のヘッジファンドを設立した。その後NYロックフェラープラザに本拠を置くヘッジファンドと深く関わることになり、米国のヘッジファンド業界の知識を本格的に得る機会を得た。これらの経験を生かし、1997年に当時大蔵省所管だった社団法人金融財政事情研究会等の招きでヘッジファンドを日本に紹介する講演を幾つか集中的に行った。
本章では当時の資料を生かしWeb上の仮想講演会として再現、現代の視点からヘッジファンドの本質に迫ってみることにしたい。

誌上セミナー:ヘッジファンドにおける理想主義とその現実

誌上セミナー:ヘッジファンドにおける理想主義とその現実
講師:田中 雅

本日は2時間にわたってヘッジファンドについてお話ししたいと思います。まずこの講演に際し、ヘッジファンドの歴史に関する貴重な記事の引用を快く了承してくださったルックアウト・マウンテン・キャピタル社のテッド・コールドウェル氏にお礼を申し上げたいと思います。

私は、長く日本を離れて35年間もヨーロッパで暮らしておりましたので、日本語もモタモタしておりまして、ときどき変な言葉を使ったり、あるいは漢字の読み間違いだとか、いろいろなハプニングがあったりすると思いますけれども、その点はお許しいただきたいと思います。

先ほども控え室でお話ししていたのですが、初めて日本にビジネス帰国したときに羽田大蔵大臣をハタさんと呼ぶことすらも知らなかった事を思い出します。

というのも、私は『知らない』ということを強みにして生きる以外選択肢が無い経歴(音楽)を持っていますので、日本経済新聞は2005年頃まで読んだ事が有りません。積極的に日本の情報を取り入れると言うことは特にしていませんでした。それでJAL機内で配布される新聞などに「羽田」と書いてあるのをみて「ハネダ」と読んでいたわけです。

日本でもうっかりハネダ蔵相と言ってしまったものですから、相手が非常に驚かれまして「あれえ、ご存じないんですか」と。「いや、知らないからドル円の予測ができるんですよ」と苦し紛れに言い逃れを申し上げましたら、感心されたのか「なるほど、私共はいろいろ余計なことを知りすぎているから、分からないのかな」という話になりました。

というわけで、先に言い訳を言わせていただきました。つまり私流のヘッジを掛けさせていただきました。

アルフレッド・ジョーンズ

最初に、ヘッジファンドの歴史についてお話ししたいと思います。

いまを遡る60年前のことですが、1949年に米国のアルフレッド・ジョーンズという学者がヘッジファンドを始めました。当時、アルフレッド・ジョーンズは48歳でしたから、かなり年配になってからヘッジファンドを始めたわけですね。

1937年のヒトラー:ドイツ連邦国会図書館 Via Wikimedia Commons
(画像:1937年のヒトラー:ドイツ連邦国会図書
館 Via Wikimedia Commons)

どういう人であったかといいますと、オーストラリア生まれのアメリカ人で、幼少のときにアメリカに渡りまして、相当頭のいい方だったようで、1923年にハーバード大学を卒業しました。そのあとの経歴がちょっと変わっておりまして、蒸気船の事務長として世界中を旅行して見識を深めた。このあたりにジョーンズのその後の人生を示唆する最初のヒントがあると思いますが、一種のグローバリストだったわけですね。

30年代にはベルリンの副領事を務め、ヒトラーの台頭を経験しました。その後、スペインでは、クエーカー教徒のために機関誌のレポーターをやっていたみたいで、詳しくはわかりませんでしたけれども、ただ、その内容は、スペイン内乱で困っている市民たち、困窮に陥っている人々を救うために様々な記事を書いたようです。

ところが、最終的な経歴がやはり変わっておりまして、41年にはコロンビア大学の社会学博士号を取得しました。もともとインテリだった上に世界中を事務長として蒸気船で回ったりして、一種のグローバルな実務家であり、観察者であり、非常におもしろい人だったと思います。彼が書いたその社会学の論文は、今でもアメリカでは標準的教科書として採用されているそうです。

40年代には、皆さんご存じのフォーチュン誌、ビジネス関係の一流誌ですが、そこの共同編集者となったとのことです。ジョーンズが任された記事のなかには当然、相場関係の記事もあったわけで、著名なウォール街の相場師とか、株式市場のアナリストたちと交流を深めたようです。恐らくそれが彼の相場に遭遇する最初の実際経験だったはずです。というのは、彼のそれまでの人生で相場とクロスするようなところは見当たらないので、多分相当年を取ってから相場の世界に入っていったということだと思います。

ただ非常に変わっているのは、彼はインタビューする相手の話を聞くうちに、これはおもしろい、自分の考えでやってみようと思い、どういうふうにノウハウを考え出したのかは知りませんが、その記事が出るまでに既に自分のインベストメント・パートナーシップを組んでいたようです。そして、このパートナーシップが実はヘッジファンドと言われるもとになるものだったのですね。

つまり、ヘッジファンドというのは、「アマチュア」がつくった私的な投資組合だったわけです。実はここが肝心な点で、後にヘッジファンドの大成功の基礎を築いたといえる根本原理の多くは、彼がアマチュアであったから発見できたと考えられるのです。プロの盲点をついていたわけです。

ジョーンズの投資手法

ジョーンズのヘッジ理論、ジョーンズの投資手法は、いくつか特徴があるのですが、空売りと信用取引が大きな特徴でした。つまり、伝統的、保守的な買い持ちに加えて、空売りをすること。それから信用取引をすること、レバレッジを掛けることですね。これを当時すでに始めていたわけです。

ご存じのように、1929年にアメリカの株式が暴落して大恐慌となりましたが、その当時から、空売りをするということは一種の罪悪的行動とみられていました。ウォール・ストリート暴落の前後の様子を書いた本が何冊もありますが、暴落の最中に、米国最大クラスの大金持ち幾人かが、ありったけの財産を投入して買いに回った。その人たちはなぜ買いに回ったかというと、国が崩壊していくと解釈して、これは許せない、これは自分たちの力で支えなければいけないということで買いに回ったのだと、かの有名な「バブルがはじけた日」という本に書いてあります。

ジョーンズはその頃まだヘッジファンドをやっていなかったわけですが、空売りをしたはずです。つまり、当時として、空売りをするということは異端者であったわけですから、ジョーンズは最初からその異端者の道を歩み始めたということですね。

もうひとつ、先ほど申しましたレバレッジを掛ける。これもいまでこそ当たり前のことでありますけれども、1949年としては、やはり反社会的行動と見なされたのではないでしょうか。

ではヒューマニストでもあったジョーンズが一般に忌み嫌われる手法である空売りやレバレッジを採用したかというと、少ない元手で信用取引をして大きく稼いでやろうという、いわゆる単純な「てこの原理」ではなく、また空売りを利用して株価崩壊の機会を狙って積極的に儲けたいという意図でもなかったようです。

なぜ空売りと信用取引をしたかというと、ジョーンズの頭のなかに「ヘッジ」という概念があったわけですね。そのヘッジのツールとして空売りと信用取引をした。

ジョーンズは、基本的には買い持ちの投資家でした。これからジョーンズがどういうふうにヘッジ投資をしたか、具体的に例を挙げて申し上げます。

ジョーンズのヘッジ手法

例えば、1000ドルの投資資金を持っていたとします。そうすると、お金を500ドル借ります。つまり、50%ほど借りるわけです。それで、1500ドルの資金にします。その1500ドルのなかから、1100ドルで買い持ちをします。そうすると残り400ドルの資金が余りますが、それを今度は空売りに回すのです。

これで1000ドルの投資資金に対して合計1500ドルの相場を張っていることになりますので、市場価格としては投資資金の1.5倍になるので、1.5倍のレバレッジになりますね。ところが、重要なのはここからですが、市場方向のリスクはネットで700ドルにしかなりません。

つまり1000ドル持っているのに、ネット買い持ちの分は実は700ドルしかないわけです。1100ドルでロングをして400ドルでショート(空売り)をしておりますので、その差額として700ドルの買い持ちになったわけです。

なぜそういうことをしたかといいますと、ジョーンズは、買い持ちの部分は、強気の「方向性に賭けていた」のではないのです。実はジョーンズはそういう賭けは苦手だと思っていました。「方向性」というのは自分にはどうしてもわからない。ただ、自分がわかるのは「銘柄選択」であると。上がりやすい銘柄はどれか、上がりにくい、どちらかというと下がりやすい銘柄はどれか、この2つを組み合わせて、実際にはスプレッドを組むということをしていたわけです。

銘柄選択リスクと方向性リスク

株式ポートフォリオには二つのリスクがあります。ひとつは銘柄選択リスク。つまり銘柄選択を誤るということです。もうひとつは方向性リスク。つまり、株式の今後の方向性、上にいくか、下にいくか、これを誤るリスクです。ジョーンズの狙いはどこにあったかといいますと、買いと売りを組み合わせて方向性リスクを相殺するところにありました。

ジョーンズは自分に「銘柄選択の能力」はあると考えていました。では例えば上がりそうな株を400ドル買う、下がりそうだと思う銘柄を400ドル売るということを仮定して、このポジションをもった場合に、どういうことが起きるかということをこれから考えてみます。

ジョーンズが狙ったのは平均株価を打ち負かすということでした。今言ったようなポートフォリオ、つまり、400ドルの強気銘柄の買い持ち、400ドルの弱気銘柄の売り持ちということをやりますと、もしこれがうまくいった場合には、強気市場でも弱気市場でもプロフィットが出るのです。

なぜかといいますと、本格強気市場では、ご存じのようにブルーチップのような強気銘柄は非常に速い速度で上昇してきます。これに対して、売り持ちの弱気銘柄は損をします。
しかし強気銘柄の上昇率が高いおかげで、売り銘柄の損失をカバーしてこのスプレッドは儲かるわけですね。

今度は、弱気市場でも儲かるというのはどういうシチュエーションかといいますと、強気銘柄というのはなかなか下がりにくい。逆に売りを掛けている弱気銘柄は非常に速い速度で下がっていくということで、このポートフォリオは強気市場でも弱気市場でもワークするはずだと考えたわけです。

本邦のバブル

1989年三菱地所が約2000億円で購入したロックフェラー・センター, Photo by Tauntingpanda via Wikimedia Commons
(画像:1989年三菱地所が約2000億円で購入したロックフェラー・セン
ター, Photo by Tauntingpanda via Wikimedia Commons)

さてジョーンズの考えがどれほど優れていたか、日本の事情に照らし合わせて考えてみましょう。日本の皆さまはバブルを既に経験されています。経験されていない新世代の方々も実はバブルの重荷を未だに前世代の負の遺産として引き継いで生きているわけです。

この間のことのように思い出されると思いますが、あのバブルの最中に、国民のすべてがありとあらゆるものを買いまくったわけですね。その最中に、中には恐ろしいと思った方はいらっしゃると思います。

相場のことをいろいろ経験されている常識的な方は、どんな相場にも、特に急上昇相場にはバブル崩壊が必ず来るものだということは知っていますから、恐ろしいと思っても当然だったのです。では、そのなかで何人の方が「自分はこれをヘッジしなければいけないのだ。うちの会社は今からヘッジしよう」という考えをもったでしょうか。

どうすればヘッジできるのか極少数の方々がその方法を思いついたかもしれませんが、残りの方は恐らく考えもしなかったのでは無いでしょうか。思いついても実行しなかった人は実行した人よりも少なかったに違いありません。これが強気市場の特色です。

ヘッジファンドは保守的にヘッジする

ジョーンズが何を考えていたかというと、そういう強気市場は結局のところ当てにはならないとまず考えたわけです。なぜそういうことを知ったかというと、彼はまったくの素人で、慎重で賢い素人だから流れには乗らず、あるいは乗ることすら出来ず、それを見抜くことができたのでしょう。彼はいわゆるプロが鼓舞する右上がりの神話などは信じずに、普通の経済学の教科書に書いてある当たり前の常識の方を信じたわけです。

画像:日経225株価推移1985~2011年。TradeSignalにて筆者作成
(画像:日経225株価推移1985~2011年。TradeSignalにて筆者作成)

もしジョーンズのように、この強気市場の真っ最中に弱気銘柄を(そもそも弱気銘柄を見つけるのも大変だったと思われますが)とにかく見つけ出して売ったとします。そうするとどうしても成績は落ちるわけです。実際に強気市場においては落ちます。買い持ちだけのポートフォリオや平均株価に比べて、その成績は冴えないはずです。馬鹿な奴だと思われるかもしれません。

けれども、そこでバブルが弾けた時に、このジョーンズのファンドは、他の買いもちのファンドに比べて落ち込み方がはるかに少なかったのです。

それは弱い銘柄を売り持ちしていたからです。このショート部分が平均株価よりはるかに速い速度で暴落してしまったものですから、そこからきた空売りプロフィットが買い持ち銘柄の下落損失を相殺してくれたわけです。これがつまりヘッジの仕組みだったのです。

ヘッジファンドに対しては皆さん非常に誤解されている部分があるようです。ヘッジファンドというのは、いま私がお話ししたようなことの反対、すなわち無茶で乱暴な投資をやっていると思っていた方がほとんどだと思われます。なぜその様に思い違いをされるようになったのか、それについては後でお話いたします。

ヘッジファンドの理念はヘッジをすることです。だからこそ、ヘッジファンドといわれているわけです。皆さんのなかで、ヘッジファンドはなぜヘッジといわれるようになったか、ご存じの方は恐らく非常に少ないのではないかなと思います。このことはほとんど語られることはなかったのですね。非常に不思議な事だと思いますけれども。

(注:平成9年に開催された筆者ヘッジファンド・セミナー最中の挙手調査では、事実、全員が金融プロだった参加者のほとんどがこのことを知らなかった)

このようにジョーンズのやり方は非常に合理的で、しかも、ある意味で保守的でした。ただ彼が達成した成績が衝撃的であり、その手法は当時誰も考えていなかったと言う意味で革命的であり先端的だったわけです。

成功報酬主義

それ以外にもジョーンズは非常に興味深い考えをもっていました。それが成功報酬主義と運用者出資原則です。成功報酬主義というのは、単純にいうと、「あなたにお金を預けましょう。それで運用してください。もしも儲かったら、その時だけ、あなたに報酬を払います」というものです。

それに対する固定報酬主義とは何かというと「とにかくお金を預けてください。とにかく運用しましょう。うまくいっても成功報酬は頂きません。手数料だけで結構です」と。つまり、手数料で稼ぐのは固定報酬主義ですね。皆さん、どちらの方を選ぶか。

投資家としては当然、成功報酬主義を選ぶはずです。というのは、投資家の究極の目的は、誰かにお金を預けて手数料を払うことではなくて、預けることによって儲けるということですから、「うまくいったときには報酬を払いましょう」というのが当然だと思うのです。

ところが、当時のウォール・ストリートを支配していた考え、つまり、投資家の目からみているのではなくて、それを預かっている側、運用している側では、固定報酬主義がスタンダードでした。これは実は日本でも同じだと思います。成功報酬主義というのは、法令的にももちろん認められているけれども、ある業界が保護されているような場合には、その業界は競争する必要がありませんから、必ず安定した収益を望むようになります。

もし保護されていない場合には、競争せざるをえませんから「悪いがおまえのことを蹴落としてでもおれたちが儲けなければ生き抜くことができない」と。つまり、競争が発生しますね。そうすると競争して勝つことによってしか生き延びる道がないのだから、では成功したときにしっかりと成功報酬を儲けよう、という選択をするようになると思うのです。

ジョーンズは固定報酬主義が間違っていると考えたのです。成功報酬主義を導入することによってしか真の競争力のあるファンドはできないと考えたわけですね。こういうふうにしないと、良い投資家を集めることもできないし、良い運用者になることもできないと。

それで彼は20%という当時としては考えられないほどの高い報酬を要求して、そのかわり固定報酬は一切いらないといったわけです。

運用者出資原則

次にジョーンズが考えたことは、リスクに対する考え方です。どのようなファンドでもリスクは有る、金を失うことはあるのだと考えました。当たり前のことです。

運用業界では、客の金を運用して損失したら、法人としての運用者がそれを補填するというのは法的に禁止されています。これは法的理念としては正しいのですが、実に都合のいい言い訳を運用者に提供しているわけです。「損をした時それはあなた(投資家)の損です。運用者はどうしてあげることもできない」と。こういう状況では、運用者は本当に自分の腕を磨いて、常に勝とうとするモチベーション(動機)を失ってしまうのではないかとジョーンズは考えたわけです。

運用における成功の第一の原因はモチベーションであるはずだ。運用収益をあげたい、あげなければいけない、これこそ第一原則であって、それ以外のものは全部第二原則にしなければいけない。運用収益をあげようと思わない運用業界がお金を儲けることはできないわけです。そうすると、その業界は手数料で儲けるしかなくなります。

そこでジョーンズは非常に重要な驚くべき選択をしました。彼は自分の資産をその共同パートナーシップに出資したのです。これこそ本当のパートナーというに相応しいのですが、自分のお金を入れることによって、もしも顧客資産の運用が失敗した場合には、自分の資産も減るというリスクに晒したわけです。これで投資家と同じ立場に立った。運用者は投資家とパートナーになったのです。投資家は顧客ではなくパートナーであるべきなのです。

運用者は楽な立場、投資家はいずれにしても取られる立場という構造を崩してしまったわけです。このようにしてジョーンズはリミテッド・パートナーシップを創設し、そのファンドが世の中に知られるようになったのは実は約20年後のことでした。20年の間誰も知らなかったのです。

ヘッジファンドの台頭

ではヘッジファンドの台頭について述べましょう。なぜジョーンズのやっていることが業界注目の的になったか、その切っ掛けを作ったのがメディアでした。フォーチュン誌が「誰にも負けないジョーンズ」というタイトルで、運用業界に波紋を投げかけるような記事を書きました。それは1966年のことです。ジョーンズがファンドを作ってから17年後のことでした。

当時、最高の運用成績を誇っていた投資信託は、5年間の運用実績ではフィデリティー・トレンド・ファンドでした。ジョーンズの成績は20%という高率の成功報酬にもかかわらず、それを44%も上回っていたのです。

10年間の運用実績で比較してみますと、ドレイファスのファンドが最高の投資信託でした。しかし、ジョーンズのファンドはそれを87%凌駕していました。つまり2倍近かったのです。彼のヘッジファンドの成績は、投資家と運用者の両方にショックを与えました。

投資家は、「こんなすごいファンドがあったのか。自分がもしこのファンドに10年間投資していたら、最高のファンドといわれるドレイファス・ファンドの約2倍の資産になっていた。一体ヘッジファンドというのは何なのだろう。どこで、誰がやっているのだろう。自分も是非こういうものにお金を預けてみたい」と考えたわけですね。

ところが、ショックを受けたのは投資家だけではありません。運用者もショックを受けました。「自分は手数料だけでやってきている。固定報酬だけでやってきているサラリーマンに過ぎない。自分は優れたトレーダーで一生懸命やってたくさん儲けた。それなのにちっともそれに対して評価をされない」と。

考えてみると、いままでの日本とまったく同じです。サラリーマンとしての運用者、こういう人たちが非常にショックを受けたわけです。「もしも自分がヘッジファンドをやっていたら、自分の実力を十分に発揮することができたはずだ。モチベーションをもって働くことができたはずだ」と。なぜなら、成功したときには20%もの成功報酬が貰えるからです。

フォーチュン誌の記事には、ジョーンズの運用哲学と取引手法の基本が青写真として開示されておりました。私が今いったことが全部そうです。ただ銘柄選択をどうやってやるかというノウハウはおそらく開示されていなかったのではないかと思いますけれども、とにかく私が述べてきた運用哲学の骨組みが世に知られる事になったのです。

当時としては斬新なショックを与えたようで、その3年後までに、なんと数百の類似ヘッジファンドが設立されました。ヘッジファンドがブームとなったのです。アメリカの証券委員会が調査したところによりますと、1年後に正式にヘッジファンドと名付けることができるファンドは144あったそうです。

さてどの様な世界でもブームとなったものには必ず衰退期が続きます。ヘッジファンドも同じことで、ヘッジファンドがブームになったその背景には、当時アメリカの株式市場が強気市場の波に乗っていたということがありました。ヘッジファンドが400ほど生まれたわけですが、実際にかなりのファンドがそこで成功したわけですね。いずれにしても強気の波に乗ることができましたから。

ところが、そのあとには弱気市場がきましたので、結局お決まりのビジネスの大後退が始まりまして、ヘッジファンドは最早時代の寵児ではなく、徐々に忘れられていく運命に流されていったわけです。

ジュリアン・ロバートソン

そのさらに20年後、またヘッジファンドのブームがありました。日本では昭和から平成に移行した頃のことです。そのヘッジファンドのブームのきっかけとなったのが、やはりメディアでした。インスティテューショナル・インベスターズ誌が出した「ジュリアン・ロバートソン、灼熱の世界」という記事です。

これを書いたローラー記者は、ロバートソンのタイガー・ファンドが過去6年間経費と報酬差引き後で年間43%という驚異的運用成績を達成していることを報告したのです。この43%というのは本当に信じられないような素晴らしい成績です。

さらに重要なことは、ロバートソンの投資スタイルが、いわゆるジョーンズが確立したヘッジファンドの投資手法によっていたということです。彼は単なる買い持ちのポートフォリオ・トレーダーではなかったのです。ロバートソンの投資スタイルというのは、ジョーンズが確立したヘッジファンドの理念、つまり、ポートフォリオの大きな一部は空売りでヘッジ構成されているという手法をとっていました。

ジョーンズは1940年、50年代に活躍した人だったといえると思いますが、ジュリアン・ロバートソンは、ジョーンズを第一世代だとみると、第二世代だったといえると思います。

なぜ第二世代だといえるかといいますと、これはジュリアン・ロバートソンがジョーンズの子供と同じ世代だったという意味ではありません。新たな新世代であったという意味です。

実はそのロバートソンが活躍した1980~90年代のアメリカの時代が全く変貌していたわけですね。この頃アメリカに何が起きていたか、後講釈で今振り返ってみますと、まさにこの頃に現在この地球を変えつつある「情報革命」が芽生えていた時期だと思います。

ジュリアン・ロバートソン自身はその当時、「情報革命」が起きていたという意識は恐らくもっていなかったとは思いますが、結果としてそれを見抜いた取引手法を取り入れておりました。つまり、オプションの導入です。

そもそもヘッジファンドというのは株式取引で始まったわけですが、コンピュータの発達、パーソナルコンピュータが非常に安くなって、誰でも手に入るようになった時代だったものですから、金融市場において情報革命はデリバティブの発達という形で実現したわけです。

デリバティブというのは、誰かが何かの都合で偶然発見した商品ではなくて、まさに時代の落とし子だったと言えましょう。コンピュータがどんどん安くなる、アメリカの基幹産業としてコンピュータ産業が発達していくという、そういう時代の金融的必然商品だったわけです。

ロバートソンがとった取引の非常に有名なもののなかのひとつに、グローバル・マクロ・プレイがあります。グローバル・マクロ・プレイというのは、本来アメリカの株式だけをやっているはずのヘッジファンドが、一転して世界の変化に焦点を定め、どういう風に変化していくかということを見抜いて、そこからプロフィットを得る事を考え抜いた取引だと言えます。

つまり、ヘッジファンドはここで、株式ファンドから、現代のいわゆる何でも取引するグローバルなファンドとして変貌したわけです。ロバートソンがやった取引は通貨でした。彼は、シカゴの通貨オプションを大量に買い込みました。保険の権利を商品化したオプションを買ったということも、まさしく彼がヘッジをしているという理念のあらわれだったと思います。

彼の取引は非常に有名になりました。自分の預かり資産の10%位を投入して大量のオプションを買い込みまして、これが成功した。これでヘッジファンドとデリバティブの結び付きが生まれたわけです。これがきっかけとなりまして、ヘッジファンドは提供されているありとあらゆる効率的な投資手段を使おうという風に変わってきました。売買対象も株式、通貨だけではない、価格変動するものは何でも取引しようというふうに変わっていったと思います。

これは非常に重要なことだと思います。ここで手法の改革だけではなくて、取引哲学の根本的変化があったわけですね。ヘッジファンドがやることは、まさに地球が世界が変わっていくさまを金融狩人の目から捕捉することだったわけです。つまり世界認識そのものが賭けの対象となる途方も無い規模のゲームが始まったと言い換えることができるでしょう。

以上がヘッジファンドを初めて創ったジョーンズの人生とその後継者の簡単な経過です。

現代ヘッジファンドの多様化

では、視点を現代に移しまして、第3世代とも言える、現代のヘッジファンドはどういう手法を使っているか、簡単に説明しておきたいと思います。

ここで重要なことを先に申し上げなければいけませんが、どういう手法を使っているか、ジョージ・ソロスはどういうことをやっているのか、そういうことを知ることによって何か勉強しよう、何か学ぼう、そして真似をして儲けよう。この考え方自体が実はヘッジファンドの考え方とは相反するのです。

ヘッジファンドの考え方は、誰かがやっていないこと、何かを自分がクリエートしようというのが本来の考え方だと思います。ですから、いま、誰が何をやっているかを知ることにどういう意味があるかと言うと、それを「取り入れよう」というのではなくて、それをむしろ排除することに拠って、誰もやっていないものは何かということを発見しようとしなければなりません。

真似をするだけでは、この世に何百と存在するコピーキャットの仲間に加わる事にしかなりません。世界的な規模で模倣された投資プランはどうなるでしょうか?必ず破綻します。コピーキャットは必然的に破綻の原因を作り、それだけではなく破綻の最初の被害者となる事が多いのです。

成功するヘッジファンド運用はまさしく「創造行為」の賜物であり「マネーの芸術」というべきものだということを肝に銘じておきましょう。一方創造や芸術につき物の典型的なリスクについては後に述べることにいたします。

こうして新しい投資手法が後から後から生み出されました。日本語でどういうふうにその手法を言い表せばよいのか、日本でも用語が確定していないのが実情です。 1990年代までに知られていた手法を一応英語でそのままリストアップしておきます。

1.Traditional-hedgefund/LongShort。これはジョーンズがやっていたもので、株式のロングとショートを組み合わせるものです。ヘッジ付ではあるが買い持ちの一種である事には変わりなく次に掲げるMarket-neutralとは異なります。

2.Market-neutral。これは原則として方向性を排除して取引しないという意味ではロング+ショートの究極形だと言えるでしょう。

3.Merger-arbitrage。合併に絡む2社の株式をロングとショートで組み合わせます。

4.Distressed-securities。これは特殊シチュエーションを取引する手法です。特別に安い、値段が構造的に不当な評価を受けている株を取引しようとするものです。

5.Commodities。資源と食料。大変化の予兆があらわれているものを長期的に取引する。2000年以降ますますホットになると予想される分野。

6.Currencies。Currenciesを取引するというのは、Currenciesが良いからというのではなく、もうCurrencies以外に取引できる大きな市場が無いという理由があります。例えばジョージ・ソロスはCurrenciesでなければ国家プロジェクトでも取引する以外無いだろうというような巨大ファンドを運用していました。

7.Global取引、もしくはMacro取引。グローバル・マクロ・プレイ。世界そのものの流れに賭けるという意味です。Playとは遊ぶという意味も有ります。なんという大きなビジョンでしょうか。取引に成功するとしばしばメディアの注目を浴び世界的英雄として持て囃されることにもなります。

さらにグローバルのなかでもスペシャライゼーションが当然発達していきました。とにかくマネをしない方が有利だ、マネをしないためにはどうすればよいかということで、ヘッジファンドの多様化は一種の必然であり、運命だったわけです。

それでグローバルのなかでも収益取得機会が多いEmerging-marketsだけを取引するスペシャリストや、その反対に流動性に問題が無い先進国国債などのような金融商品だけを取引するスペシャリストなどが分化して行きました。

面白いのは空売りだけをやる専門家です。後にご紹介するコントラリー・ファンドのパーカー・クイレンがそうです。なぜこういう運用がヘッジファンドとして魅力的かといいますと、たとえば株価がピークを付けているのではないかと恐れている時には、出来ることならやはりヘッジをかけたいわけです。生保などは基本的に買い持ちしかできないし、その運用哲学を変える気持ちはない、しかし少しでもプロテクションしたい。それなら空売りだけをやっている専門的ファンドを買い持ちすれば良いわけです。

日本でもベア・ファンドというのがあるそうですけれども、同じ考え方ですね。

このようにファンドそのものが多様化していく、しかも今後も多様化せざるをえないという構造的な宿命も背負っていますので、余りにも増えすぎたファンドを選ぶ事自体が非常にむずかしくなってきました。そこでファンド選択を投資家がやるのではなく、第三者に任せるというニーズが出てきました。

その結果ファンド・オブ・ファンズというアプローチが生まれてきました。つまりファンドを選択して組み合わせ、投資家の真のニーズにぴったり合ったファンドを作り上げる専門職ですね。

ヘッジファンドは最も効率的で、多様で、柔軟で、様々な投資家のニーズに対応できるものです。ニーズがあれば必ず対応できる。対応できるものが揃っていなければ、作ります、これがヘッジファンドの考え方だと思います。

では次回はヘッジファンドとメディアの不思議な相互関係について述べることにしましょう。

第VIII部:ヘッジファンド 第1章:ヘッジファンドの歴史、田中 雅 2011年2月10日


第VIII部:ヘッジ・ファンド

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