トレーディング、Arts&Logic by 田中 雅
第VIII部:ヘッジ・ファンド
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- 第1章:ヘッジ・ファンドの歴史
- 第2章:ヘッジファンドとメディア
- 第3章:ヘッジ・ファンドのパフォーマンスと実例
第2章:ヘッジファンドとメディア
2011/3/10
ヘッジファンドの伝統的定義
いままでお話ししたのは、歴史とその現実からヘッジファンドというのはどういうものかということでしたが、では法制の側からみるとヘッジファンドはどういう風に定義されるかということに触れてみたいと思います。
まず歴史的見地から先にヘッジファンドを定義してみます。先ほど私が申しましたように、まず形態としてはプライベート・パートナーシップ。すなわち運用者と投資家が一体となる私的投資組合ですね。それから、非常に重要なことですけれども、一般投資家に投資信託のような形では当然公開されないということです。
もうひとつは、本来のあり方としては、ヘッジするということが重要な条件であったということです。つまり、買い持ちとは別に、ヘッジ用の売り持ちを取り、ヘッジを掛けていた。それだけでは実のところ非常にローリスクでローリターンということになるので、その安全な分だけレバレッジを掛ける投資効率の追求ということですね。これもひとつの条件だと思います。
ただし、レバレッジを掛けていないのがヘッジファンドとは言えないかというと、そういうことではありません。ヘッジファンドというのは、とにかくある投資目論見があって、それに対して最も効率的で機動的な形で作られたものなのです。
それに加えるに、絶対的成功報酬主義。これは今でも貫かれておりますし、ジョーンズは20%でしたけれども、現在は収益度に応じて30%ぐらいまで、報酬額の上限も上昇しています。
さらに運用者共同出資原則。これは後にアメリカの法制の中に組み入れられました。アメリカでは、国内に作られたヘッジファンドは、マネジャーが自己資金を必ず注ぎ込まなければいけません。そうすることによって、マネジャーのモチベーションとリスクに関する運命共同体を作るということですね。
最終的に、それらをすべて統合すると、先入観にとらわれない柔軟な収益追求主義だと思います。これが伝統的なヘッジファンドの定義です。
- ヘッジファンドの伝統的定義
- ヘッジファンドの現代的定義
- インターネット=共有主義
- 異端者としてのヘッジファンド
- 法制上のヘッジファンドの定義
- ヘッジファンドに戸惑う
- マネーが国家を揺るがす
- ソロスと英国ポンド通貨危機
- ヘッジファンドの巨大化、秘密主義、規制
- ヘッジファンド独自のリスク特性
- 人
ヘッジファンドの現代的定義
次に、現代のヘッジファンドにはどういう特色があるかというと、まさしく先ほど申し上げましたように、この情報世界の特色がすべて生かされているわけです。つまり、情報革命というものを徹底的に取り込んで、真っ先に時代を先取りしているのが金融業界の中ではヘッジファンドということです。
すなわち、先端情報テクノロジーの徹底的利用。これは地球規模の機動性にも繋がります。デリバティブなどの先端金融テクノロジーの徹底的利用による究極の投資効率の追求。
地球規模の機動性というのは、もはやヘッジファンドだけの専売特許ではありません。我々個人としても、日常生活の中でこれまでは考えられなかったことを地球的規模で実行することができます。その最も特徴的なものがインターネットだと思います。
インターネットを初めて利用された時のことを思い出してみてください。その時に人生最大級の衝撃を受けられなかった方は、恐らくヘッジファンド運用にはあまり適していないかもしれません。
インターネットは先程述べた地球的規模の機動性というものを個人的なレベルで実現したものだと思います。本来これほど迅速で広範な規模での情報取得や情報発信を実現化しようとすると大変な資金がかかっていました。実際、インターネット・インフラそのものは想像を絶する莫大な資金がかかっているわけです。あれに注ぎ込まれている人間の英知とコストは大変なものです。それをいまや個人が月々数千円の負担で自由に使う事ができるのです。
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インターネット=共有主義
インターネットはよく考えて見ますと非常に奇妙な世界で、あれは明らかにソーシャリズム(社会主義)であり、あえて申し上げますと知識(情報)のコミュニズム(共産主義=共有主義)だと言えるのではないでしょうか?ジェームズ・ボンドでさえ命を掛けない限り手に入れる事の出来なかった最高級の国家秘密でさえ、今や簡単に共有する事ができるのですから。また独裁国家を覆すような呼びかけ情報の発信すら可能である事も今や目の当たりにする事ができました。人民革命さえインターネットは可能にしたのです。
これが冷戦時代にはアンチ共産主義の戦士であった米国で生まれたとはどういう巡り合せでしょうか?米国の大学にインターネットのインフラを最初に提供したのは、実は国防総省そのものだったというのも皮肉だとは言えないでしょうか。
そもそもインターネットの基本OSとなっているユニックスですが、これも本当に奇妙な世界でした、マイクロソフトのような資本主義寡占企業が作ったものではありません。
オープンソース・ユニックスというのはどういうふうに出来ているかご存じですか。あれはボランティアの自由参加によるシェアウエア開発です。参加している人たちが何十年もかけて無料で改善し公開し共有してきたものが、最高の製品としてネットインフラの中で使われているのです。それをコントロールする絶対的な権威が一切ないのでアナーキー(無政府主義)と言えます。ところが、これは製品としては最も完成度が高い作品なのです。
ユニックスは誰のものでもありません。皆のものです。そういう共同開発プロジェクトが地球的規模で恐らく史上初めて実現し、現実世界で成功した。ですから、ユニックスというのは、よくみてみるとソーシャリズムであり、コミュニズムでもあるわけです。
コミュニズムが本来の居場所であった共産国家という仕組みの中では崩壊して、インターネットの世界、つまり知識と情報の世界では実現した。しかもよりによってアンチ・コミュニズムの戦士としては右に出るものが無い資本主義の牙城、米国で生まれたというのは非常に不思議だと思いませんか?
1818年に生まれたカール・マルクスがこれを知ることが出来たとしたら涙を流して悔しがったに違いありません。「ああ自分は150年早く生まれすぎたのだ」と。
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異端者としてのヘッジファンド
横道にそれたので元に戻ります。さて、このように申し上げますと、なんだ、ヘッジファンドというのは、要するに超保守的、当たり前の常識が教えるところの理想を追求したものであって、なんらおかしいものではないと思われるでしょう。しかしメディアはそのようには見ておりません。メディアは、ヘッジファンドを時代の異端児と見なしております。
あとでその例を紹介したいと思いますが、時代の異端児とはそもそも何かといいますと、これも後講釈で分かることなのですが、時代を変えていった重要な人達というのは、最初はやはり異端児であるわけですね。ところが、それが10年後、20年後になって、あとで振り返ってみると、「ああ、あの人達が言っていた事は正しかったのだな」ということで、歴史の教科書に英雄として取り上げられるわけですね。
ここで異端児が社会的に標準化してしまうわけです。なあんだ、異端児は実は素晴らしいことをやってのけたのかと。芸術の世界でも常にそうでした。
異端児というのはそれをあまりにも早く見抜いてしまったがゆえに、正しいことをやっているにもかかわらず、その当時の人々からは理解されず異端児として見られるわけです。異端に真っ先に反応するのは自称国民感情の代弁者メディアだと思います。そのことについては間も無くお話いたします。
- ヘッジファンドの伝統的定義
- ヘッジファンドの現代的定義
- インターネット=共有主義
- 異端者としてのヘッジファンド
- 法制上のヘッジファンドの定義
- ヘッジファンドに戸惑う
- マネーが国家を揺るがす
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- ヘッジファンドの巨大化、秘密主義、規制
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法制上のヘッジファンドの定義
次に、「法制上のヘッジファンド」について申し上げます。これは皆さんも既にご存じのことかもしれませんが一応最初から再確認しておきたいと思います。まずヘッジファンドというのはプライベート・プレイスメント、すなわち、私募の投資パートナーシップです。有限責任パートナーです。出資家は99人までに制限されておりました。近年これは拡大されました。
二番目に、ジェネラルパートナーすなわちマネジャーですが自己資金を出資しなければいけません。これは法定的に強制されております。
三番目に、投資手法は明瞭に開示される必要があります。更にこれを遵守する義務がある。その限りでは、投資手法は規制しないということです。これは実はひとつのことしかいっていません。情報開示をしなさい、これを遵守しなさいというのはあくまでシンボリックな言葉でして、実際に何の法制的な強制力をもっているわけではない。
重要な部分は、その限りでは投資手法は「規制しない」ということです。すなわち、ヘッジファンドというのは本質的に規制されていない。なぜ規制されないかというと、これが重要ポイントなのですが、ヘッジファンドはプロの投資家のために設立されているからです。一般公開はできません。国家的権威による保護を必要としていると見なされている一般投資家は参加できないのであるから、ヘッジファンドに出資する投資家を保護する必要は元々無い。保護をするためには規制が必要である。しかし、保護をする必要がないのであるから規制も必要ない、こういうロジックになっているからです。
ということは何もかも共有し誰もが参加するインターネットとは全く逆の世界だということです。インターネットとは最も相性が悪いのです。
それでも会社組織でありますから、四番目に監査済みの会計報告は年間で公開されること。これは会社法と同じです。
五番目、メディアを通じての投資家向けの宣伝行為は禁止されます。これは非常に重要なことですけれども、ヘッジファンドがどうして誤解されるか、その根本的な原因はヘッジファンドそのものにあるわけです。ヘッジファンドというのは、自分を理解してくれとメディアに出ていく必要はないし、また出て行くこともできません。禁止されているわけですから。
ヘッジファンドは一種の秘密主義です。なぜ秘密主義かというと、勿論いろいろなノウハウを知られたくないとか、そのヘッジファンドの側の理由もありますが、そもそも制度上、構造的に、一般国民や一般投資家には知らされる必要がないわけです。ところが、メディアはその逆をやって一般市民を煽るわけですから、そこで非常に大きな羨望と欲求不満の葛藤と誤解が生まれている。
ヘッジファンドをセンセーショナルな記事として取り上げるというのは、そもそもヘッジファンドにとっても迷惑な事であり、ヘッジファンドは、特定のグループの内部だけで内輪でやるべきものなのですね。ヘッジファンドの理想主義はそのような環境でなければ最後まで貫くことが出来ないとでも言えましょうか。
六番目になりますが、以上の条件を満たす限り、米国証券取引委員会の規制の適用を受けません。つまり、ここが重要点ですが保護も受けません、規制も保護も受ける必要がないからです。そもそも理想を追求するのに、国家的な関与が必要なのでしょうか。
アメリカの法制はまさに大人の夢を実現しようとした法制だといえます。日本ではまだそこまで至っていませんし、欧州も同じです。これはアメリカだけです。やはりアメリカはマネーの国であり、マネーがカルチャーとなっているからこそ、マネーの世界においてはここまで成長して大人になることができたのだと思います。
逆にその原則を曲げたときにはアメリカンドリームの崩壊が始まると言って良いでしょう。実際にその崩壊が2008年に起きました。(間奏曲1:リーマンブラザーズとの約束を参照)
日本や欧州はまだそこまでは到達していません。ヘッジファンドをつくろうとしても出来ないような規制がまだあるかもしれないし、また、常識とか、皆さんの心の中にも抵抗があり、あるいはそういうものを現実に実行しようとしても様々な障害が起きてなかなかやりにくいということもあるでしょう。
しかし、それにもかかわらず、アメリカの法制が言わんとしていることは、自由にやりなさいということですね。「あなた方は大人なのだから、自由に夢を追いなさい」といっているわけです。夢が潰れたらそれは自己責任だと言うことです。
皆さんはどちらに身を投じますか?自由でしょうか安全でしょうか?これはいにしえの昔から繰り返され、そして未来永劫まで続く人間の根本的な問いかけでもあります。
最後に「欧州と日本におけるヘッジファンドの定義」ですが、これは最終的にはアメリカのあとを追うことになるとは思いますが、やはりアメリカのモデルを参考にしながら、それぞれ自分たちのモデルができていくのではないかと。それは時代の自然な流れとして出来ていくのではないかと私は考えております。
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ヘッジファンドに戸惑う
次に、メディアがヘッジファンドに対しどのように反応しているかということですが、これからその例を申し上げながら色々考えてみたいと思います。
私がこれから申し上げたいのは、メディアがヘッジファンドに対し抱いている考えが私からみて間違った捉え方をしているとしても、それを憂いているわけでもなし、腹を立てているわけでもなし、実によくわかる、メディアの思っていることもよく理解できるということです。
ここで取り上げたメディアの例ですが、私は「NHKスペシャル」が大好きで、欧州に届く衛星中継をできるだけ欠かさないようにしてみていたのですが、「NHKスペシャル」が「21世紀への奔流」というタイトルで、これはたぶんシリーズではないかなと思いますがヘッジファンドを取り上げた事がありました。
「マネーが国家を揺るがす」というタイトルです。
おそらく皆さんの中にも番組をご覧になった方がいらっしゃると思いますけれども、私も大変に感銘を受けまして、これ、なかなかいいなと思ったのです。なぜいいなと思ったかといいますと、まず冒頭ですね。
タイトルが始まりまして、世界中の人間の顔とか、いろいろなものが映る。なんとなくグローバルなことを扱っているという感じで番組が始まりますが、その後くるのが、字幕でずっと映っていく三つの問いです:
「我々はどこから来たか?」
「我々とは何か?」
「我々はどこへ行くのか?」と。
画家ゴーギャンによるこの言葉を見ただけで、あっ、いいセンスだなと思いました。これは今でこそ、日本においては皆さんどなたもが、毎日では無いにしろ、1週間に一度は、あるいは月に一度は考えることではないかなと思います。もはや日常的な問いとなってしまいました。
「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」

(画像:ポール・ゴーギャン、我々はどこから来たか我々とは何か我々はどこへ行くのか。出典Wikipediaパブリック・ドメイン、ボストン美術館所蔵)
皆さん、こういう漠然とした思いを持っていらっしゃるわけです。ところが、よく考えてみますと、30年前、日本が素晴らしい速度で上昇、進歩していた時、あるいはしていると思い込んでいた時期に、こういう形で自分たちのことを考えるのはむしろ異端でした。
なぜ異端かというと、こういうことを考えるとそもそも時間が掛かり過ぎるわけですね。哲学的な感傷をやっている暇はない!われわれは一生懸命働いてすごく儲かっているのだ、世界一の日本になりつつあるのだ!と、そのような意識が主流だったと思います。
そういう人達に向かって、「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」なんて問いかけたら、バカなソクラテス扱いにされたと思います。ところが今では国民の意識を代表すると思われているNHKでさえ、このような問いを日常的に発するようになってきたわけです。不思議な時代ですね。
つまり国民が哲学化しているわけです。不思議なもので人は貧しくなり始めると哲学的な思考をめぐらすようになります。そして、その次にタイトルがきます。
「マネーが国家を揺るがす」と。
そのあとアナウンサーが次の様に話を始めます。
「21世紀に向かう大きな流れ。私はその中に予測のつかないマネーの動きに不安を感じています。
通貨の価値が大きく変動し、産業や私たちの暮らしを揺さぶっています。通貨は国家の威信そのものだと思います。
かつてソビエトという超大国が崩れていくとき、まず人々は自分の国の通貨を信用しなくなりました。
それは大多数の国民の動きでしたが、今、通貨や威信を揺さぶっているのは少数の人が操るマネーです。しかし、その額は巨大です。
利益を求めて世界中どこへでも動くホットマネーと呼ばれる資金は1日に100兆円を遥かに超えています。その凄味は、世界で1年間貿易に使われるお金をたった4日間で動かしてしまうというところにあります。
このホットマネーが求めるのは利益です。時には国の将来、国の威信といった理念とはまったく関わりなく動くという恐ろしさをもっています」
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マネーが国家を揺るがす
このあと少し間隔を置いてアナウンサーの話が続きます。
「少数の投資家がいともたやすく国家を揺さぶってしまうことを見せつけたのがニュージーランド通貨でした」
そして、ニュージーランド通貨がどのようヘッジファンドによって落とされてしまったかという実例がでてきます。
その後のコメントですけれども、
「国家は経済を安定するため様々な計画に基づいた政策をとっています。しかし、マネーが牙をむいたとき、当然、国家はそれに立ち向かおうとします。しかし、国家の政策方針までいとも簡単に崩してしまうチカラをマネーは持ち始めています」
そして、いよいよ最後のところが一番よいと思います。
「マネーの規制は豊かさへの発展を阻む。
しかし、マネーの自由な流れは危険をはらむ。
何をとっても私たちの平穏が待ち受けているとは思えない。
次の世紀、イデオロギーに代わってホットマネーという妖怪が地球を俳徊する時代になるのです」
これが「NHKスペシャル」のコメントの中で特に私がいいと思ったところを選んだ部分です。ちょっと先に進んで、最後に、これは朗読されることなく、ただ字幕で出てくるのですが、リルケの詩集の引用が登場します。1899年に書かれたリルケの詩集から引用されております。1世紀前の世紀の変わり目に立つ人間、その心を芸術家の立場からみて表現したものです。読んでみます。

(画像:ライナー・マリア・リルケ。
出典Wikipediaパブリック・ドメイン)
ひとつの世紀が過ぎようとする
わかれ目にわたしは生きる
おおきなページがめくられる
その風を感ずる
神と君とわたしが書き記し
見知らぬ手のなかで
高々とひるがえる
ページの風を
こんな形で「NHKスペシャル、マネーが国家を揺るがす」は終わるわけです。
これを見て私が考えることは、要するに、この「NHKスペシャル」に限ってかもしれませんが、状況を正しく捉えていると思うのです。そして、ヘッジファンドがその中で利益を追求するために、この時代の変化を捉え、見抜き、行動しているということに嫉妬心を感じ、恐怖心も感じ、実に複雑な気持ちで見ているわけですね。
しかし、番組の作者はヘッジファンドが悪者であると断定することは避けています。避けている部分もあるけれども、あまりにも情報が乏しい為に悪者であると思い込んでいる部分もかなりありました。
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ソロスと英国ポンド通貨危機
その一番良い例が、ジョージ・ソロスがブリティッシュ・ポンドを売って、イングランド銀行を倒したというあの逸話ですね。
あのとき私は現場にいましたから、私も彼と同じことを考えていたわけです。いつブリティッシュ・ポンドをショート(空売り)すればいいか。つまり、ブリティッシュ・ポンドをショートしなければいけないというのは、ジョージ・ソロスが言ったからショートしなければいけないのではなくて、誰でも感じていたことでした。シチュエーションはもともとあったわけです。(間奏曲4その2「アクロポリス、デルフィ古代遺跡演奏会」を参照)
誰がショートしようとしていたか。誰もがショートしようとしていました。世界中の銀行がショートしようとしていました。何故かというとショートするのが必然だったからです。ブリティッシュ・ポンドは高過ぎる。
欧州連合が為替統制を組み、ヨーロッパの通貨はスネーク(蛇)のように、蛇行しながら連動するような制度がありました。ところが、ドイツとイギリスとの経済は全然違う方向に発展していた。それで、ドイツ・マルクが強いのは当然であるけれども、英国ポンドがそれに一緒についていくこと自体がおかしいという状況が生まれたのです。
経済が安定している時、或いは金融の世界が安定している時ならそれでもよいのですが、安定していないのだとわかった時に、無理しているものはすべて破綻してしまうわけです。それが分かるようなシチュエーションが起きたわけです。アルフレッド・ジョーンズが言うところの買い銘柄と売り銘柄がここではっきりと判明したわけです。
これがポンドの通貨危機でした。皆さんは証券業界の方であり、銀行の方であり、生保の方でありますから、自分を守るためにヘッジをしなければいけない。自分たちは慈善事業をやっているわけではなく、利益を上げることが目的なのですから、プロフィットを目的としてショートしたかもしれません。
ところが、どういうきっかけでショートしようとするかというと、やはりそこに言い訳が必要になってくるわけです。一番都合の良い言い訳が様々なニュースであり、ファンダメンタルな指数であり、言い訳というのは毎日数時間毎には入ってくるわけです。
その中で最も使える言い訳が「ジョージ・ソロスが売っている」という噂だったわけです。これほどいい言い訳はありません。何故かというとジョージ・ソロスは時代の流れを読み取っている。われわれの業界の中ではスーパースターなわけですね。つまり権威である。そのソロスがやっているのだから、われわれはやってもいいと。あるいはやらなければと。
そういう理由で結局、膨大な投機資金、あるいは自分をプロテクトする為の資金、しかし後で考えてみると、実に沢山の「実需の資金」がポンドを売ったわけです。
投機だけではなかったのです。しかも、最もポンドを売った実需の資金はどこからきたかというと当然イギリス本国からきました。ヘッジする為にです。
ポンド大暴落が必然である時に、これをヘッジする為に膨大な英国実需がショートでヘッジされたわけです。

(画像:ポンドドル週足。矢印で示したバーが92年9月18日週のポンド危機大暴落)
ここで非常に重要な事を考えてみたいと思います。「ソロスがポンドを売った」という噂と共にポンドが暴落して一番利益を受けたのは誰でしょうか?勿論、様々な方が利益を受けたと思います。ジョージ・ソロスのとてつもない利益はすっかり有名になりました。もう一度、問います。誰が金額として一番大きな恩恵を受けたでしょうか?本当にソロスだったでしょうか?
実はイングランド銀行でした。
なぜかと言いますと、イングランド銀行はもちろんポンドを防衛できないことは分かっていた。そのまま防衛しようとしてポンドを介入で買い続ける限り、イングランド銀行は破産するしかない。グレートブリテンの中央銀行が破産するというのですよ!これは時間の問題でした。
しかも、守ってくれるはずのブンデスバンクが最終局面においてはイングランド銀行を切り捨てるような素振りをわざとメディアにリークしました。それがきっかけとなって実は暴落したのですが、もともとブンデスバンクというのは「ポンドを我々が支えることは不可能。道連れの破産はゴメンこうむる」と読んでいたわけです。当然のことです。
イングランド銀行にとってもそれは明らかでした。破産を目前にこのままポンド買い支えを続ける訳には行きません。しかし「ジョージ・ソロスが売った」という噂で皆がポンドを暴落させてくれたおかげで、イングランド銀行はタオルをリングに投げ込むチャンスを得たのです。世紀の悪者ソロスに対して敗北宣言をする。国家を守ろうとして戦った孤高の犠牲者としての立派な言い訳を得たわけです。そして介入を停止しました。この介入停止のおかげでイングランド銀行は破産を免れました。
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ヘッジファンドの巨大化、秘密主義、規制
このようにヘッジファンドは、いろいろ都合の悪いことが金融業界で起きている、その言い訳によく使われます。これはヘッジファンドそのものの構造の中にあるわけです。
ひとつは秘密主義。それから目を見張るような莫大な投資資金を動かしていること。これがまず一つの原因だと思いますけれども、ヘッジファンドというのは資金効率を追求する機関でもあります。ですから巨大化は多くの場合大歓迎なのです。
何故かというと、お金というのは大きくなればなるほどコストの点から見て効率的になっていく。ジョージ・ソロスが1000万ポンドを売ろうが1億ポンドを売ろうが、それを考える時間は同じです。1億ポンド売る情報を集めるには、ロイターのモニターが100台いるわけではありません。ポンドの価格を知るためのモニターは数台でも同じ働きをします。ですから成功したヘッジファンドは人気による巨額資金流入の為だけではなく、自然の成り行きとしてより良い資金効率を達成するためにも巨大化します。
そうすると巨大化によって誤解される、そのタネはやはりヘッジファンドの構造そのものの中にあるといっても差し支えない。それに対しメディアが全くトンチンカンな理解の仕方をしてしまう、それもまた仕方がないわけです。
ヘッジファンドは、実はマネー世界の夢と理想を追い求めているわけですね。皆さんが本当はやりたいと思っていること、自由自在に誰にも制限されずに自分の技量で売買してみたい、大成功してみたいと。まさしくこれはマネー理想主義の追求に他なりません。
ところが、それを外部から見ると、全然違ったように映る。
ヘッジファンドが世界中を妖怪のように俳徊している。要するに、昨日までの世界原理であったものは崩壊してしまった。つまり、イデオロギーが崩壊して、今や「世界を俳徊する妖怪」はヘッジファンドになってしまった、マネーの時代になってしまったという事です。
この言葉を発したのはカール・マルクスだったそうですが、マルクスもここまでは予見できなかったということなのでしょう。
私は、マネーの時代に対して危惧を抱いているということは実は良いことだと思うのですね。たとえば規制一つとっても、ここにNHKは良い事を言っています。
「マネーの規制は豊かさへの発展を阻む」
「しかし、マネーの自由な流れは危険をはらむ」
これはまさしく金融庁や財務省が何時も抱えている葛藤と苦しみを端的に言い表したものだと思います。
(画像:カール・マルクス。出典Wikipediaパグリックドメイン)
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ヘッジファンド独自のリスク特性
さて、ヘッジファンドとして成功するには、要するに、儲けなければいけないということです。それには色々考えなければいけないことがあると思いますが、まず儲けを裏から見た同義語といってもよいリスクについて少し述べます。
まずヘッジファンド独自のリスクについて述べます。ヘッジファンドには投資に必然的な一般的リスクの他に、独特のリスクが存在します。第一のリスクは「手続上のリスク」です。
「手続上のリスク」というのは、ヘッジファンドをつくっていく上で、運用していく上で、評価していく上で、固定の手続というのがはっきり決まっていないということです。これは当然な結果だと思います。規制されていないがゆえに、豊かな創造の世界になってしまっているわけです。良く言えば芸術、うがった見方をすれば途絶える事の無い創意工夫、つまり思いつき。
例えば機関投資家がそこに資金を投入するときに契約書が出てきます。ここに実物の目論見書を持って参りましたが両面印刷して15ミリあります。これを片面印刷しますと3センチになります。しかも全文が英語で書かれている。これを皆さんに提示して読んでいただく。
誰が全部読むか。日本人は多くの場合読みません。見るページは決まっています。何パーセントの収益があったか、そしてどのぐらいのコストがかかったか。なぜ読まないか。こんな膨大なものを読む時間がないのかもしれませんが、一字一句全部読まなくても安全だろうと思うからでしょう。
なぜかというと、規制が発達している社会では「これが規制の良いところですが」倫理と良心と徳と、とにかく良いものが標準化され通念として或いは法令として決められているわけです。
規制というのは悪いものだと単純に思っていらっしゃる方がいますけれども、そんな事はありません。私が日本で最初にやったことは日本の法律を読むことでした。証券法などを読んでみますと、私はもともと音楽家ですから、実にこれは苦痛な作業だったわけです。なんとこれに8カ月を費やしてしまったのです。ほとんど何も理解できなかったのですが、ひとつ重要な事を理解しました。
法律というのは実によく出来ている。それから法律というのは出来た時は必ず理想主義の衣をまとって生まれて来るということです。法令を読んでみると良く分かりますけれども、規制は全て保護という意図で書かれておりまして、しかも、保護されるのは国民です。皆さんを守ってやりたい、こういう風に規制しなければ国民が傷つくだろうという観点に立って法律は出来ているわけです。
実はそうでないかもしれません。法令が決められた当時何か裏があったかもしれない、あるいは権力抗争があったかもしれない。しかし、出来上がった法律には理想的なナイス・ストーリーが謳われているわけですね。ですから法律というのは法世界における一種の理想主義の追求であり、その結晶させた成果だと思います。
そこで、こういう膨大な契約書を突き付けられたときに犯す間違いは、信じているから読まない。これがヘッジファンドに関する最初の間違いですね。ヘッジファンドに関する限りは全部読まなければいけません。読む時間が無いのであれば、あるいは読んでも理解できないのであれば投資すべきではないのです。ましてや信じているから読まないというのであればヘッジファンド投資は失格です。
何故かと言うとヘッジファンドが追求しているのは理想的な意味での無政府主義だからです。そこには警察も刑務所も無いのです。そこに住む住民は皆自分で責任が取れる人々だと言う事を前提としています。だから規制しないのです。契約書を全て読まなくてあなたが失敗した場合にはこれを守ってくれる人はいません。日本人は何度もこのことで失敗し煮え湯を飲まされました。
次に、「高収益期待を満たさないリスク」です。ヘッジファンドは非常に運用成績がいいですから、非常に儲かると思う。で、やってみる。そうすると実際は儲からなかった。これは本当によくあります。
例えば先物業界などを考えてみますと、ものすごく規制されているがゆえに、アメリカでも運用成績を公表する際に実に細かな規制が決められています。運用成績の公開に関する事細かな規制があり、それに従って公表された運用成績は信頼することができる。
規制によるスタンダードが決まっているわけです。ところが、ヘッジファンドの場合には、自由であるがゆえに、そのスタンダードも決まっていない。それを悪用して儲かりそうに見せかけることをやっていないとは限らない。そういう風に理解してください。
最後に「大幅な損失の発生リスク」です。ヘッジファンドは危険であると一方的に思いこんでいるとしたら、その方はまったく投資の世界にいる資格はないと思います。危険なことをやっているヘッジファンドが危険なのであり、危険でないことをやっているヘッジファンドは幾らでもあるわけです。伝統的な投資よりも更に保守的な投資手法を採用して、それを売り物にしているヘッジファンドもあるのです。
ですから、ヘッジファンドはリスキーなことをやっているというのは誤りですけれども、ヘッジファンドは時々理解に苦しむような膨大な損失を発生することがあります。
従ってヘッジファンドに投資する時には、どういう手法をとっているか完全に理解する必要があります。と言うことは、投資家にも同じ程度の投資手法に対する知識を要求しているわけですね。超ハイテクの複雑金融商品の中身を全く理解しないままに世界中が買いまくったのがリーマンショックの始まりでした。
- ヘッジファンドの伝統的定義
- ヘッジファンドの現代的定義
- インターネット=共有主義
- 異端者としてのヘッジファンド
- 法制上のヘッジファンドの定義
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- 人
人
色々と注意しなければいけないことを申し上げましたが一番重要なのはやはりピープル、人間だと思います。
こんな風に無政府的な世界になってきますと、最終的には人間を見るのが一番良い。契約書は膨大すぎる、目論見書も理解し難い。ならば結局人間を見抜けない限り、ヘッジファンドに手を出す事はできません。
一流であるとか、メディアで有名であるとか、それがどれほど当てにならないかは、アメリカでも日本でもいやと言うほど経験していることです。
最終的には人間を知ることが一番重要ではないかと私は思います。
第VIII部:ヘッジファンド 第2章:ヘッジファンドとメディア 田中 雅 2011年3月10日



