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トレーディング、Arts&Logic by 田中 雅

間奏曲

間奏曲(4)その2:アクロポリス、デルフィ古代遺跡演奏会

2011/1/14

ポンド歴史的大暴落、アテネ・アクロポリスの古代劇場にて

「田中さん、大変だ、ポンドが大暴落しました。ご存知ですか?」
アテネのホテルにロンドンのF銀行から電話があったのは9月17日の事だった(1992年)。その日の夜はテアトロ・エクソニで演奏会、翌日はアクロポリスの野外大劇場遺跡での演奏会、19日は再びエクソニ。私はクセナキス・アンサンブルと一緒にギリシャ演奏旅行の真っ最中だった。

前日9月16日のポンドドルは、一日で1.8590から1.7845まで急落しマイナス4.01%。現代史上最大の下落率だったが、この記録は近年のリーマンショックの最中でさえも破られていない。ジョージ・ソロスがバンク・オブ・イングランドを打ち負かしたとして有名になったあのポンド危機大暴落である。

画像:ポンドドル週足。矢印で示したバーが92年9月18日週のポンド危機大暴落
(画像:ポンドドル週足。矢印で示したバーが92年9月18日週のポンド危機大暴落)

念のためにPCは持って来ていたのだが、アテネではデータが全く取得できない。当時はまだインターネットとメールは実用化されておらず、新聞か電話かファックスによる情報取得が関の山。驚いた事に、海外からの国際電話はいつも繋がるのに、ホテルからの国際電話は常に通話中として塞がっており全く通じない。誰かに連絡する事も、注文を出す事もかなわなかった。

新聞はというとパリで発行されるインターナショナル・ヘラルド・トリビューンが夕刻になって当日版が手に入るが、ロンドンから空輸されるファイナンシャル・タイムズやWSジャーナル欧州版は1日遅配で2日前の市況しか手に入らないという有様だった。市場に煩わされずに演奏に没頭するには理想的な環境だったと言える。

しかし私にはアテネで演奏だけに没頭するわけにはいかない理由があった。じつは米国の著名先物運用競技会を二つ掛け持ちしており、丁度2週間前の9月2日の時点で受けた報告では、どちらも中間成績でトップを走っていたからである。

リアルタイム・リアルマネーで1年掛けてシカゴの先物取引所を舞台に争われる著名競技会で、初参加の前年度91年にはゴールインを控えた年末で苦い思いをした。私は中間成績でトップを走り続けながらも、12月には番外に転がり落ちて入賞を逃したのだ。年末に浮上した競争者の猛烈なラストスパートに打ち負かされてしまった。彼らは最終局面で入賞できない事が見えてくると、突然なりふり構わぬ滅茶苦茶なレバレッジを賭けて一か八かの勝負に出る。

もし競争者達がポンドの売りに乗ったら、恐らく巻き返しで逆転劇となる可能性が高い。追われる身である私にとっても、ポンド売りは競争者を引き離しておく千載一遇の取引チャンスなのだ。しかしここアテネからでは手も足も出なかった。

(画像:運用競技会主催者からの中間成績報告ファックス。トップクラスには知らされる)

ヘロド・アティクス音楽堂(アテネ、アクロポリス)演奏会

アクロポリスの正面入り口からパルテノン神殿に向かって上っていくと、右側に巨大な野外古代劇場が見えてくる。これが5千人収容できるヘロド・アティクス音楽堂で、2世紀に建てられた古代遺跡である。野外劇場なので音は空に向かって筒抜けになるが、驚くほど音響が良い。1800年前に建立された舞台背面の壁は、凄まじいばかりに風化してぼろぼろだった。

ここはギリシャが誇る観光スポットでもあり2004年にはサイモン・ラットルの指揮でベルリンフィルが演奏している。かつてカラヤンがウィーンフィルを率いて演奏した事もある。

ジョン・ケージ作曲:シックスティーン・ダンス

画像:アテネ・アクロポリス、ヘロド・アティクス野外音楽堂。クセナキス・アンサンブル、筆者:演奏者右から2番目
(画像:アテネ・アクロポリス、ヘロド・アティクス野外音楽堂。クセナキス・アンサンブル、筆者:演奏者右から2番目)

当夜私たちの演目の一つに、米国の前衛作曲家ジョン・ケージの今や古典となった作品でシックスティーン・ダンスと言う曲があった。

フルート、トランペット、4人の打楽器奏者、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成だった。チャンス・オペレーションという音形態出現を偶然(言い換えると確率)に頼る音楽書法で書かれており、作曲された当時は意味の全く分からない前衛音楽としてケージの他の作品と同様に世界中で物議を醸した。

私は相場価格変動の数学的偶然性に強い興味を覚えていたので、偶然性を美学の水準にまで突き詰めて考え抜いたこのような音楽にも興味を抱くようになっていた。

本番の曲半ばにして全く予想外の珍事が発生した。この曲に痛く感銘したのだろうか、古代劇場に詰め掛けていた客席の一人が、なんと我々の曲に合わせて正気を失ったかの様な変な声で歌いだしたのである。それはまるで犬の遠吠えにそっくりな唸り声で、トランペットが音を出したらそれに呼応して歌うのである。状況から考えて正常な精神状態の人がやっているとは考えられず、舞台上の我々の間に一瞬衝撃と困惑が走った。

ところが観客席の方からは軽いクスクス笑いが聞こえて来ただけで、特に差し迫った様な反応は無かった。普通なら周りの人が即座に止めさせるか取り押さえるはずなのに。そして、ほどなく我々も理解したのである。それは人ではなく場外のパルテノン神殿にでも住み着いている野良犬の鳴き声そのものだったのだ。

意外感と安堵感が演奏者の間に広がると同時に、我々の心からは何かがぷつりと切れてしまい、この曲はまるで別物のように進行し始めた。私の心を奪ったのは、犬の遠吠えの絶妙な間合いである。それは、この曲の音高と音強の構造が確率計算によるランダム配置で設計されており、言わば自然のあり方を模倣したかのように構成されていたからに違いない。野良犬にとっては「これは黙っちゃいられない、めったに聞けない結構いける」曲だったのだ。

この犬がベルリンフィルのベートーベンに合わせて鳴くとは、私は絶対に予想しない。ベートーベンの音符はその高さも長さも全ては完璧に割り切れるように書かれており、そのような音調には動物は反応しない。動物にとって古典音楽は理解しがたい超不自然な前衛音楽なのである。

ミデルブルグのクセナキス・アンサンブルを訪れた事も有るジョン・ケージがこの場に居合わせたらどれほど喜んだだろうか。「そらみろ、神殿の犬にはちゃんと分かるのだ。野良犬じゃない。神の使いだよ。」

私は楽しくなってきた。聴衆もいまいち興が乗らないようにケージの音楽を聴いていたのだが、心から親しみを感じ始めた様子だった。「今日の演奏会は、これは大成功だぞ。ノリノリだ。」

天に向かって音を解き放て!

いよいよ演奏会はクライマックスを迎え、我々が最も得意とするクセナキス作曲「タレイン」の演奏が冒頭の大音響と共に始まった。クセナキス・アンサンブルは大抵この曲をクライマックスにもってくる。間違いなく演奏は何処で弾いても大成功し、大喜びする観客のブラボーと拍手喝采で受け入れられるのだ。

日本公演では初めての試みとして小学校と中学校の生徒たちにこの曲を聞いてもらった。先入観の無い子供たちは興奮の余り目を輝かせ、体を揺り動かしながら酔いしれたように聞き入る。そして何よりも大切な事だが、演奏家は毎回トランス状態になる。最高の忘我の境地が聴衆にも伝播していくのが分かる稀有な曲なのだ。

タレイン演奏の興奮と熱気が最高潮に達したときである。突然夜の古代遺跡にワーンという大音響が津波のように押し寄せてきた。それまでずっと寝ていたのか黙っていたセミの大群が音楽に触発されて大合唱を始めたのである。セミは夜でも起きる事があるのだろうか。オリンポスの神々は聞いていたのだろうか。セミを叩き起こして我々に共振のシグナルを送る様に仕向けたのだろうか。「珍しい音調を奏でる客人達よ、今夜はわしらも聞いているぞ。」

私がそう感じるには理由があった。その2ヶ月前にも、神々が住むといわれるデルフィのアポロン神殿で忘れる事の出来ない不思議なクセナキス演奏体験をしたばかりだったのである。

それを語る前に、作曲家クセナキスとはどのような人なのか書いておこう。

作曲家ヤニス・クセナキス

ギリシャ人クセナキスは、学生時代に反ナチスのレジスタンス運動の最中、銃弾に顔の左側を吹き飛ばされ左目を失った。1947年に収容所から逃亡、偽のパスポートでフランスに脱出したが、ナチスに画像:作曲家クセナキス, via www.iannis–xenakis.org/支配された母国では国家反逆罪で死刑の不在判決を受けた。パリで近代建築の巨匠ル・コルビジェの高弟となり建築家としてまず名を成した。

彼はアテネのポリテクニック(工科大学)で数学と建築を専攻したのだが、パリで経済的な余裕が出来ると念願の音楽の道(作曲)に進路を切りかえようとした。しかし殆どの著名作曲家から年齢と基本教育の欠如を理由に教授を断られた。

パリ音楽院でオリビエ・メシアンのクラスを傍聴することが許されただけだった。多数の優れた作曲家を育てた偉大な教師でもあったメシアンは、彼の並外れた数学的才能を見抜き数学と建築の知識を応用して独学で作曲を推し進めるように薦めた。

(画像:作曲家クセナキス, via www.iannis–xenakis.org/)

彼の音楽は余りにも前衛的で、しかも高度な数学理論で武装されており反論がしにくかった。その印象はあまりにも強烈であったため、当初欧州の現代作曲界からは凄まじい反感で迎えられ、1950年代のドイツでは反対派が画策してほぼ上演禁止同様の扱いを受けた。1965年にフランスに帰化。画像:ブリュッセル万博。オランダ・フィリップス館。設計クセナキス, Photo by Wouter Hagens, GNU Free Documentation License

60年代には天才的な業績が世界中に認められ始めた。1970年大阪万博に作曲家として来日。自作品の万博公演で日本でも名前が知られるようになった。民主政権誕生後に死刑判決を解かれギリシャ国家は彼に謝罪、1974年に初めてギリシャを訪問し、熱烈な大歓迎と記念式典で迎え入れられた。

(画像:ブリュッセル万博。オランダ・フィリップス館。設計クセナキス, Photo by Wouter Hagens, GNU Free Documentation License)

音楽の隠された本質が、後に導入された新概念であるフラクタルのようなものであると誰よりも早く見抜き、その構造と形式を独創的な計算によって数学的に創造する手法を確立した彼の偉業は、カオス理論が世界中に浸透し始めた80年代に世界中で現代作曲家の注目の的となり、偉大な先駆者としての地位を確保した。

クセナキス・アンサンブル

画像:クセナキス・アンサンブルが本拠を置くオランダ・ミデルブルグ市火縄銃兵士館。1607年建立。Via Wikimedia commons
(画像:クセナキス・アンサンブルが本拠を置くオランダ・ミデルブルグ市火縄銃兵士館。1607年建立。Via Wikimedia commons)

オランダのミデルブルク市に本拠を置くニュー・ミュージック・ファウンデーションは1979年に日本の伝統芸術と現代音楽を紹介する大規模なフェスティバルをこの地で企画した。欧州の主要オーケストラの主席クラスで活躍する日本人音楽家を集結させる役目を依頼されたのが切っ掛けで私はこのアンサンブルの創設メンバーとなった。

私は当時オランダ放送局室内管弦楽団の主席チェロ奏者だったが、その直前までドイツで学び、ドイツのオーケストラ副主席チェロを務めていた事もあり、在欧の音楽家と広い交流があった。オランダのみならずドイツ、ベルギー、英国そして日本からその都度精鋭音楽家を呼び寄せ最高水準の演奏をすることにした。

81年にはクセナキスの作品演奏を通じてクセナキスとアンサンブルは意気投合し、存命の作曲家の名前を冠するという異例の演奏団体に生まれ変わった。その意図は明らかで、クセナキス作品をはじめとする現代最高の音楽作品の伝道師となり繰り返し繰り返し全欧州で演奏することだった。

83年のホラント・フェスティバルでは超絶技巧を要する難曲の演奏で有名になった。アムステルダムに本拠を置く現代音楽専門のシェーンベルク・アンサンブルが公演直前で余りの難しさに演奏放棄した曲を引き受け、短時間で完璧に近く演奏して話題になった。84年には州政府から1607年建立の歴史建造物「火縄銃兵士館」を全館無償貸与され、専用演奏会場と専用の事務所を併せ持つ世界有数の恵まれた環境を得た。

多くの著名作曲家が火縄銃兵士館を音楽ユートピアと見做し訪問者が絶えなかった。ジョン・ケージもその一人である。若手日本人著名作曲家の多くがこの地を訪れている。コンサートマスターはケンブリッジ在住の日本人ヴァイオリニスト辻美舟。演奏会毎に組まれる人選が私の担当だった。オランダに有りながら日本人が演奏と企画の中心的役割を果たした珍しい国際アンサンブルでもあった。

私はこの地球上で恐らくクセナキスの室内楽作品を最も数多く弾いたチェロ奏者の一人である。そしてその体験が実は私独特の相場観を確立する上で非常に重要な役目を果たした。音楽の根源を精神的にも物理的にもフラクタルとして認識し、その構造と形態を表記する新しい音楽言語を創造しようとしたクセナキスと同様に、相場でも価格変動のフラクタル構造を表現できるような数学的な認識システムを作りたいと願ったのである。

デルフィ古代遺跡アポロン神殿でのクセナキス演奏

画像: デルフィ。真下にアポロン神殿を見下ろす高台にて。筆者自身
(画像: デルフィ。真下にアポロン神殿を見下ろす高台にて。筆者自身)

アテネからは遠く離れたギリシャ中央部パルナッソス山麓にデルフィ(古代ギリシャ語ではデルポイ)と言う小さな町がある。古代ギリシャ時代には世界の臍(へそ)と呼ばれ、アテネの執政官が神々のお告げを聞くための場としてオリンポス神殿を建設した場所である。アテネの重要な政治的決定、特に戦争執行に関する決断は神のお告げに大きく依存していたらしい。

山中に「European Cultural Center of Delphi」という素晴らしい文化施設があり、前述アテネ演奏会の2ヶ月前の1992年7月1日から6日まで「Computer Music Conference/Festival」が開かれた。クセナキスが議長を務め、世界中からコンピュータ音楽の第一線の専門家たちが集結した。

クセナキスの競争相手だったブレーズが率いるパリのIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)、コロンビア大学、プリンストン大学、ギリシャのCCMR、カリフォルニア大学(サン・ディエゴ校)、スタンフォード大学などの研究者や作曲家が、それぞれ最先端の研究や創作活動を持ち寄り連日連夜演奏会と研究発表が催された。

殆どはコンピュータが作曲し、コンピュータが電子機器を通じて自動演奏する作品だったが、その中で唯一、全て「人間」が演奏するコンサートがこの会議最大の呼び物「クセナキス生誕70周年記念演奏会」で、私がチェロを担当するクセナキス・アンサンブル弦楽四重奏団が演奏した。

会議は朝の9時半から始まり個人の作品発表とレクチャー。14時にランチが出る。楽しみのギリシャ料理が出る夕食は20時。参加者は毎日約10の小規模な実演付きレクチャーを全日掛けてこなし、その日の最も重要な催しであるテーマ演奏会は21時半に始まる。23時頃に演奏会が終わった後も、多くの人々は野外のテラスで飲食しながら議論を続けるという有様だった。

6夜のテーマ演奏会は館内の演奏会場で開かれた。我々の演奏会だけは施設の中庭でという事だったが、その事は演奏者には事前には知らされていなかった。それだけではなく、演奏会の前日にクセナキスが突然、アポロの神殿か古代野外劇場でこの演奏会を行いたいと提案し、それに断固として反対する私と鋭く対立してしまった。

画像:デルフィ古代野外劇場。左側がアポロ神殿。中央奥に宝物庫。Photo by Luarvick, GNU free documentation Licence
(画像:デルフィ古代野外劇場。左側がアポロ神殿。中央奥に宝物庫。Photo by Luarvick, GNU free documentation Licence)

私としては絶対に譲れない苦い経験があった。野外劇場は神々に向けて開かれて設計されており、演奏する場所してはそれなりに良いのだが、神々の気まぐれから身を守るすべを持っていない。神々の気まぐれは、時には犬の遠吠えであり、セミの大合唱でもあるのだが、別の時には強風であったり突然の雨であったり演奏会そのものを脅かすリスクともなり得るのだ。実のところ私は以前シチリア島でとんでもない体験をしていたのだ。特に天候急変によるトラブルは野外演奏につきもので、アテネ演奏会では想定外の雨でテアトロ・エクソニの野外演奏会が中止されそうになったこともあった。

シチリア島古代遺跡で予想外のトラブル

シチリア古代劇場での演奏会のことである。昼の総練習が終わり、夕日が沈んで辺りが暗闇に包まれ始めた頃、地中海性気候独特のカラカラに乾いているはずの天気が一転し、劇場が突然予想もしなかった濃霧に包み込まれてしまったのである。

これは恐らく山稜近くに築かれた野外劇場に向けて遠くから吹き上げてきた海風が山稜を越した直後に気温の急激な低下から雲を発生させた為に、その雲の中にいる私には濃霧の様に見えたのだと思う。それにしても地中海気候のシチリアに濃霧が発生するなど誰が予想できようか。

一瞬にして舞台に置いてあったチェロに霧雨のような濃霧がぶつかって、チェロがじっとりと露(つゆ)をかぶってしまったのである。これに驚いたのは私だけでなかった。同じ夜、古典琵琶を弾くはずだった上田純子さんはショックのあまり大事にしていた琵琶を二度とケースから出さないと言い出した。高価な楽器を大切にしているなら当然の主張だが、演奏会は古典の唄だけでやるという。幸い彼女はそのような奥の手があったので良かったが、私は濃霧再発生におびえながらも既に湿気で濡れてしまったチェロを弾くしか無かったのである。

デルフィの稜線はシチリアの古代遺跡があった穏やかな丘陵山岳地帯よりも遥かに険しい。濃霧だけではなく、もし突風が吹いてきたら演奏継続が不可能になる。クセナキスの楽譜は凧(たこ)の様に大型なので強風に煽られると空に舞い上がってしまう。おまけにそれは演奏不可能と言われるほどの超絶技巧に拠って書かれているので、そよ風で楽譜が揺らいだだけでも、精神的にも物理的にも極限状態で弾いている演奏者の集中力は切れてしまい、自分が何処を弾いているか見失ってしまう可能性がある。

クセナキスはこのようにミッション・インポッシブルな楽譜を好んで書く人である。演奏家を極限状態に追い詰めることで平常世界を超越しようとする。彼が信じる芸術の為なら私をライオンが待ち受ける闘技場にさえ押し出しただろう。遂に演奏家たちは根負けし、風に対しては丸裸同然に無防備なオリンポスの神殿や野外劇場を避けて、その片隅にあるアテネの宝物庫と呼ばれるこぢんまりとした遺跡でやる事で妥協した。

ここには古代の宝物庫と壁に囲まれた小さな石造りの中庭があり、風除けとなって強風に煽られるリスクが少しだけ小さかった。それだけでなく私の要求で各奏者の両脇に二人のアシスタントが付き、黒子(くろこ)の様に、楽譜を譜面台に固定させる大型洗濯ばさみの操作と、非常に難しい譜めくりを代行するという人形浄瑠璃さながらの物々しい舞台になった。

画像:デルフィ・アポロン神殿の古代遺跡、奥のアテネの財宝庫と呼ばれる建物の前庭で演奏, via Wikimedia commons, 撮影:Millevache
(画像:デルフィ・アポロン神殿の古代遺跡、奥のアテネの財宝庫と呼ばれる建物の前庭で演奏, via Wikimedia commons, 撮影:Millevache)

演奏が始まった。とりわけ緊張したのが難曲として知られた弦楽三重奏曲「IKHOOR」の演奏だった。案の定稜線を駆け上る山風が時折中庭に吹き込んで楽譜を揺らせる事があり、地面に座り込むように低く構えた若い二人のアシスタントは必死になって楽譜を押さえていた。楽譜を照らすにわか仕込みの簡易照明以外は暗闇だったが、空は月明かりによるものか意外と明るかった。峡谷を隔てた向こうの山稜もはっきりと判別できた。

クセナキスが古代遺跡での野外演奏にこだわったのは恐らく耽美的理由からであろう。ギリシャ生まれの芸術家としての自分と、いにしえのギリシャ文明との接点をここである種の神秘的な体験として記憶に刻み込んでおきたかったのではないか。

そしてその願いに応えるかのように、クセナキスさえも全く予期していなかった現象が起きたのである。演奏している最中に遥か彼方から私たちの演奏が跳ね返って聞こえてきたのだ。元々フラクタルのように作曲されているクセナキスの曲。同じくフラクタルそのものであるデルフィの壮大な山の輪郭が折り重なり合って多次元的なエコー音響空間を創り出したのである。鯨やイルカが音の残響で海底の地形を見ることが出来るように、神々が住むデルフィの峡谷全体が我々の演奏舞台だと感じながら演奏出来たのである。

クセナキス音楽の景観

画像: アポロン神殿の近くで演奏したクセナキス作曲弦楽三重奏曲「Ikhoor」総譜。筆者用の演奏譜
(画像: アポロン神殿の近くで演奏したクセナキス作曲弦楽三重奏曲「Ikhoor」総譜。筆者用の演奏譜)

上に掲げた楽譜は私がその時使用した弦楽三重奏曲総譜のごく一部をA4スキャンしたものであるが、オリジナルは縦横共にこの2倍の幅となる超大型楽譜である。これを2ページ横並べにして1メートル10センチ幅の楽譜を演奏する。音楽的素養を幾分かでも持っている人には直ぐにこれは演奏不可能な楽譜である事に気付かれるだろう。それはこの音楽言語が自然界を一般に形成する原理をもとに作られている為である。

まずリズムと拍子の計算が割り切れない分割でかかれている。この楽譜の左上冒頭のヴァイオリン(VL)が32分音符で引いている箇所は、ビオラが32分音符の4個分を3連符で割り、続いて6個を5で割るようなリズムで弾いている。その間チェロは7個分を6分割して弾かねばならない。これらはフラクタル構造の特色を模倣したものと言える。割り切る事が出来ない素数の音楽なのだ。

音高は確率計算でランダム出力した音高を使用している。これらリズムや音高はデタラメに書かれているのではなく背後に隠れた対称性や秩序や合理性によって管理されており、不規則性と規則性が時の進行に連れてランダムな周期性で浮き沈みするように進行する。楽譜下部のジグザグ運動は、まさしく私が毎日モニターしているドル円とユーロ円とユーロドルを水平配置で比較する1分足チャートとそっくりだ。多分そう言い切ってもクセナキスは私をしかりつけたりはしまい。

お気付きかもしれないが、これらの音楽は本稿では今やおなじみの乱数出力による模擬価格変動モデルと基本的には同じ構造で書かれている。どのようなデタラメの乱数を使っても、一度中央位置移動平均線や近似曲線を振り当てると、人間はそこに意味を感じ取ってしまう点までそっくりである。それがクセナキスの言う古代から人間が感じている本源的な「美」なのだ。

もし望まれるのであれば、ドル円の価格情報を入力してここに掲げたような曲を皆さんに作曲してお見せすることすら不可能ではない。ドル円は自然界が隠し持っている自己生成原理と良く似たフラクタル原理で創出されているからだ。

第VI部第3章:「対称点を探り当てる」で掲載した「乱数の海」も「波打つ水平線」も全て同じ原理で作成された。これ等はクセナキス音楽の風景とほとんど同じなのである。ここで改めてもう一度読み直してみると、当時分からなかった事が分かり易くなっているはずだ。あの章の最後に示した模擬市場価格変動(下図)も全く同じである。人は本能的に偶然性が大好きである。何故ならそれは本能に訴えかける何かを持っているからなのだ。

画像: 第VI部第3章:「対称点を探り当てる」より。
(画像: 第VI部第3章:「対称点を探り当てる」より)

3CMA延長と近似曲線比較.xlsをダウンロード

クセナキスとの対話

翌日、上機嫌のクセナキスが得意げに話しかけてきた。
「ほら私の言ったとおりだっただろう?あそこでやってヤッパリ良かったじゃないか。」
私もにこにこしながら答えた。
「はい、ほんとに。あなたの勝ちでしたね。」

クセナキスが思いも拠らない事を聞いてきた。
「タダシ、きみはPCを使って相場のトレーディングをやっていると聞いたのだが本当?」
「え、美舟(第一ヴァイオリン奏者)が喋ったのですか?こまった子だな。実はそうです。」
「それは興味深い。一体何をやっているんだね?」
「はい、あなたと同じで、確率を多次元的に構成して室内楽の楽譜みたいに一度に演奏できるような、そういう統合的な相場認識モデルを作ろうとしています。」
「それは面白い。何の為に?」
「それがそのう、言いにくいのですが、お金を沢山儲けようと思って。」
「ははは、タダシ、それは良い事だ。私だって神様に奉納する為に音楽を書いているのではない。妻子を食べさせる為に作曲しているのだから。」

話してみると実に色々なところで二人の考え方が似ていた。とりわけ音楽と相場の数学的な枠組みにおける認識ではかなり似ているようだった。周期性のずれ。反復性、一次対称と二次対称などを根拠とする本能的な未来予想。ギャンブル実行と音楽演奏の類似点などなど。

昨日の神殿宝物庫演奏会に関しては、自然に向かって常に心が開かれている事について話し合った。それを具体的に行動で示す事。偶然のリスクを許容しないと奇跡は起きない事など。

彼の言葉を全て思い出すことは出来ないが、クセナキス著作の中から話した事と同じ内容の発言を見つけたので最後に書きとめておきたい。

私たちの時代は今、非対称と無秩序と不合理性の文明を生きているのだろうか?

"There is an advantage in defining chance as an aesthetic law, as a normal philosophy. Chance is the limit of the notion of evolving symmetry. Symmetry tends to asymmetry, which in this sense is equivalent to the negation of traditionally inherited behavioral frameworks.

偶然性を美の法則として見なす事には哲学としての優位性がある。進化する対称性を限界まで突き詰めて考えるとそこに偶然性がある。対称性はいずれ非対称性に移りかわる。それは伝統的遺伝的行動原理を否定する事に等しい。

[…] Everything happens as if there were one-to-one oscillations between symmetry, order, rationality, and asymmetry, disorder, irrationality in the reactions between the epochs of civilizations."
(Formalized Music, p.25)

全ての事象はあたかも「対称、秩序、合理性」と「非対称、無秩序、不合理性」の間を一対一で揺れ動く振動によって発生する。文明の時代時代が相互に反応することによって。

(Formalized Music, .25ページ)

間奏曲4の2:アクロポリス、デルフィ古代遺跡演奏会 田中 雅 2011年1月14日